広陵高校を長年率い、多くの名選手を育ててきた中井哲之元監督。
「若い頃の姿や様子」が気になっている方もいると思います。
中井哲之氏は、現役時代、“俊足球児”として知られていました。
その実力が認められていたエピソードがいくつかあります。
長年名将と呼ばれてきた中井哲之氏ですが、若い頃の学生時代はどんな選手だったのでしょうか。
今回は、中井哲之氏の小学生時代から広陵高校、そして大学・27歳で監督就任に至るまでの若い頃のエピソード7選をご紹介します。
- 中井哲之の若い頃のエピソード7選
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中井哲之|若い頃のエピソード7選!

①ガキ大将だった!
中井哲之氏は、子供時代、ガキ大将でした。
インタビューでは、
「誰かがケンカで負ければ、助けに行き話し合いをさせていた」
と語っています。

正義感のある“ガキ大将”ってかっこいいな。
②小4から野球を始める
中井哲之氏の住んでいた地域(広島県廿日市市)では、野球が盛んでした。
小学4年生から野球を始めて、地域の人たちが協力して、夕方練習に付き合ってもらったりしていたそうです。

温かい大人の方たちに囲まれていたのは練習するのにいいね。
③俊足だった!
中井哲之氏は、現役時代俊足で有名でした。
- ノーサインで盗塁を許されていた
- 相手チームから警戒されていた
- 春の選抜大会ベスト4
(ポジション:遊撃手) - 夏の甲子園ベスト8
(ポジション:三塁手)
春の選抜準決勝、夏の甲子園準々決勝へ進出しチームに貢献していました。

ノーサインで盗塁を任されるとはすごいな。
④新入部員100人以上→13人の危機
中井哲之氏が広陵高校時代、100人以上いた新入部員が13人になる危機がありました。
当時の強豪校は、監督からの猛練習や厳しすぎる上下関係がありました。
「100人以上いた新入部員が最後には13人になりました。これ以上やめられたら困ると思って、みんなが嫌がることを率先してやりました」と中井は語る。
引用元:NumberWeb
- 起床時間に同級生を起こす
- グラウンド整備
- 練習後のグラウンド整備
- 道具片付け
- 洗濯などの雑用…
理不尽なしきたりやルールがあり、やめていく部員も多かったそうです。

若い頃から危機的状況を自分が動くことで変えようとする考え方が立派だね。
⑤低迷していた広陵に誘われる
中井哲之氏は、当時低迷していた広陵に誘われて進学しています。
進学先は、当時勢いのあった広島商業高校か崇徳(すとく)学園か迷っていたそうです。
進路を迷う中井少年のもとに、広陵の校長がたずねてきた。
「伝統のある野球部を、なんとか立て直したい。ぜひとも、わが校に……」
中井少年の内心は、(広陵? ないない)だったが、父は「強い学校で甲子園を目ざすのと、助けてくださいといっている学校を強くするのと、どっちが男らしいかわかるよの?」。これが、曲がったことが嫌いで弱い者を助ける男気のルーツである。
引用元:YAHOO!ニュース
中井哲之氏は、父親の助言によって広陵高校へ進学しました。
- 1980年10年ぶり春の選抜
→4強へ - 8年ぶり夏の甲子園
→8強へ

低迷中の広陵を本当に立て直したなんてすごい。
⑥教師を志して大学へ
中井哲之氏は、教職免許をとるために大阪商業大学へ進学しています。
野球だけじゃなくて人が好きなんですよ。やんちゃな子もおとなしい子も、いろんな子を含めて人が好きだから。もしかしたらそういう職業(教師)が僕にあってるのかな、と。
引用元:日刊スポーツ
中井哲之氏は、大学卒業後、教師として母校・広陵高校へ戻りました。
そして、野球部のコーチとなったのです。

教師になりたいという志があったんだね。
⑦27歳で監督就任
中井哲之氏は、27歳の若さで監督に就任しています。
監督に就任した翌年、65年ぶりの選抜優勝を達成しました。
「若いのに出来るわけないやないか」という周囲の声は聞こえてきたが、「このやろう、見とけよ」と反骨精神で向かっていった。90年夏の広島大会は2回戦で敗退したが、秋の県予選で準優勝。中国大会で優勝し、翌91年のセンバツ切符を手中にした。同大会最年少監督の28歳で乗り込んだ聖地でも、勢いは止まらなかった。
引用元:日刊スポーツ

若くして監督になった翌年に優勝へ導くとは驚きの展開だな。
中井哲之氏が妻・由美さんと出会ったのも監督就任した頃です。
妻・由美さんとの馴れ初めについて詳しくはこちら
中井哲之のプロフィール紹介

- 名前:中井哲之(なかいてつゆき)
- 生年月日:1962年7月6日
(2025年現在 63歳) - 出身地:広島県廿日市市
- 広島県 広陵高等学校
大阪商業大学 卒業 - ポジション:内野手
- 家族:
由美(妻)
惇一(息子) - 現職:
広陵高校/社会科教諭
広陵高校/野球部監督
→1990年4月(当時27歳)~2025年8月
女子硬式野球部 総監督
→2021年4月(当時59歳)~2025年8月
中井哲之氏は、若くして27歳で監督就任し、実績を残してきました。
広陵高校を長年率い、多くの名選手を育ててきた中井哲之氏。
2025年夏、部員の不祥事を受けて監督を辞任されています。
新しい松本健吾監督のもと、広陵高校野球部はどのような進化を見せるのか注目されています。
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