日本男子バレーボール代表の宮浦健人選手。
今年2025年のネーションズリーグでは、強烈なスパイクとサーブで世界を驚かせる活躍が話題となっています。
宮浦健人選手といえば、筋肉質な体格とパワフルなプレースタイルが特徴でかっこいいですね!
今の体格や技を身につけるカギとなったのは早稲田大学時代だったそうです。
そして、高校時代の苦労が土台になったからこそ、ひたすら努力できたそうです。
今回は、そんな宮浦選手の学生時代について紹介していきます。
- 宮浦健人の高校時代は苦労が多かった?
- 宮浦健人が早稲田大学で得たものとは?
- 宮浦健人のプロフィール
宮浦健人は鎮西高校出身
鎮西中学校1期生から高校進学へ
出身高校:熊本県 鎮西(ちんぜい)高校
(偏差値:40)

鎮西高校は、全国レベルの強豪校で、バレー選手だった父・宮浦浩幸の母校でもあります。
鎮西高校へ入学するきっかけは、
鎮西高校のバレーボール部 畑野久雄監督(父親の恩師)から、付属の鎮西中学校(スポーツ特化)の一期生として誘われたこと
近所の中学にも男子バレー部はありましたが、鎮西高校を見学した際にレベルの高さに驚いたそうです。
片道1時間半をかけて鎮西高校付属の中学校(現在は閉校)に通っていました。
中学時代の宮浦健人選手。

当時、同期は2人。
先輩も後輩もおらず、公式戦には出場できませんでした。
しかし、同じ体育館にいた鎮西高校のバレーボール部の存在が道しるべになったようです。
中学3年間で基礎練習を重ねてから、鎮西高校バレーボール部へ進んでいます。
鎮西高校時代の宮浦健人選手。

中学入学時 → 身長155㎝
30㎝以上伸びてます!
高校入学時 → 身長187㎝
(現在:190㎝)
宮浦健人選手のお母さんは、栄養面を考えて、ボリュームのあるお弁当や食事でサポートをしてくれていたそうです。

1年生|腰椎分離症でチーム離脱
高校へ進学して、サウスポーエースとして、スタメンで試合に出場していた宮浦健人選手でしたが、腰椎分離症(疲労骨折)となってしまいます。
学生時代で、大きな怪我はこのときだけのようですが…
部活を休まなければならない時期が長く、すごく辛かったそうです。
1年目の春高バレー初戦敗退をバネに
最初の春高バレーでは、東京代表の早稲田実業と対戦し、一回戦で敗退しました。
引用元:4years
「自分のせいで負けたとか、何もできなかったとか。むしろよかったことやできたことを振り返る方が難しいです。」
春高バレーに出場するということ自体すごいことなのですが、この悔しさをバネにして、チームを勝利へ導くために考え、ひたすら練習します。
- どうすればもっといいスパイクが打てるのか
- チームを勝たせるためにどうしたらいいか
2時間の部活練習を終えてから、自主練習でスパイクを打ち込んでいたそうです。
課題を見つけて考える力と責任感の強さが感じられますね。
2年目の春高バレー準優勝
2年生になってからも伸び悩む時期が続き、「もう辞めてしまいたい」と追い込まれることもあったそうですが、2年生の春高バレーでは準優勝を果たします。

代替わりとなり、キャプテンとなった宮浦健人選手。
背番号は、エースナンバー3
3年生で最後の年は、春高の決勝で勝ち日本一になることを目標にしていました。
3年生のとき熊本地震
2016年4月16日、熊本地震が起こります。

被害の状況は深刻なものでした。
宮浦健人選手の通う鎮西高校も、体育館や校舎は損壊。
学校生活も、1ヵ月くらい、日々の暮らしもままならない状況になってしまいました。
体育館が損壊していたので、その後の練習は…
- 佐賀や福岡の体育館を借りる
(コーチの運転するバスで移動) - 校庭の砂場に臨時のコートを作った
- 外練習で暗くなってからは1人体感練習
- ひたすら校庭を走る
熊本県外で体育館が借りれないときは、外練習をしていたそうです。
満足のいく練習時間がとれない中で、できることを必死にやっていたんですね。
辛い状況の中でも、そんな風に努力できるからこそ、世界の舞台で活躍する存在になっているのですね。
3年目の春高バレー初戦敗退

前年準優勝の鎮西高校は、シード校となり2回戦が初戦。
主将兼エースとして、大きなプレッシャーを感じていたといいます。
迎えた初戦は、習志野高校と対戦し0-2でストレート負けでした。
負けた要因として考えられること
- 熊本地震の影響で練習試合など満足にできていなかった
- エースの宮浦選手は徹底的にマークされた
それでも、注目を浴びていた中でカメラを向けられたとき、言い訳はしなかった宮浦健人選手。
「弱いから負けた。(エースの)自分がふがいなかったせいで、負けました」
引用元:4years
この悔しい経験が、宮浦健人選手をさらに強くしていったのでしょう。
どんなときにも、反省を繰り返し、次に向けた思考につないでいく姿勢が分かります。
宮浦健人は早稲田大学出身
知識・体力・筋力を身につけていく
出身大学:早稲田大学 スポーツ科学部
(偏差値:60)

スポーツ推薦で入学しています。
宮浦選手は入学当時を振り返ったとき
- 肩が弱く体がうまく使えていなかった
- パワーがなかった
- メンタルのコントロールが難しかった

そんな中、松井監督や佐藤コーチとの出会いで、宮浦選手は「成長するための方法を教えてもらった」といいます。
- 効果的なスイングをする体の使い方
- ボールに力を与えるジャンプ
- ストレッチや筋肉の鍛え方
- 戦術
- 栄養管理
松井監督は、インタビューで、
「あれだけコツコツ努力してきた選手はなかなかいない」と話しています。
全日本インカレ4年連続優勝

全日本インカレ(全日本大学選手権)で、4連覇を達成します。
大学4年生で主将を務めました。
最後の年はコロナ渦で、大会が相次いで中止になっています。
それも逆境ととらえ、トレーニングを積んでいたそうです。
「早稲田大学では、たくさんの知識を身につけることができた」と語っています。
鎮西高校時代に培った「逆境から逃げ出さない強さ」で、努力し続けてきたんですね。
宮浦健人のプロフィール

- 生年月日:1999年2月22日
- 名前:宮浦健人
- 年齢:26歳(2025年現在)
- 出身地:熊本県荒尾市
- 身長/体重:約190㎝/約85kg
- 利き腕:左(サウスポー)
- ポジション:オポジット(OP)
- 最高到達点:347㎝
- 特徴:高いジャンプ力と強烈なスパイク
- 出身高校:鎮西高校(熊本県)
- 出身大学:早稲田大学(スポーツ科学部)
- U‑19日本代表主将(2017年)
アジアユース 優勝・MVP
世界ユース選手権 銅メダル - ジェイテクトSTINGS
(2021-2022年) - PSGスタル・ニサ (pl)
(2022-2023年) - パリ・バレー
(2023-2024年) - ジェイテクトSTINGS愛知
(2024-2025年) - ウルフドッグス名古屋
(2025年-)
現在の活躍の裏には、真面目に努力を積み重ねてきていたことがあると分かりました。
今後も、宮浦健人選手の更なるご活躍を応援しています!