強烈なスパイクとサーブで世界を驚かせる、日本代表の宮浦健人選手。
バレーボール日本代表の宮浦健人選手。
「出身中学・高校はどこ?」と気になる方も多いと思いますが、熊本県の鎮西中学・鎮西高校を卒業しています。
全国レベルの強豪校・鎮西高校ではエースとして春高バレー準優勝を経験。
しかしその裏で、熊本地震による体育館損壊という大きな試練にも直面しました。
今回は、宮浦健人選手の鎮西中学・高校時代の活躍と、熊本地震をどう乗り越えたのかを紹介します。
- 宮浦健人の鎮西中学・高校時代エピソード
- 宮浦健人のプロフィール紹介
宮浦健人は鎮西中学出身

片道1時間半!鎮西中学校1期生
宮浦健人選手は、片道1時間半をかけて鎮西高校付属の中学校(現在は閉校)に通っていました。
きっかけは…
鎮西高校のバレーボール部 畑野久雄監督(父親の恩師)から、付属の鎮西中学校(スポーツ特化)の一期生として誘われたこと
近所の中学にも男子バレー部はありましたが、全国レベルの強豪校である鎮西高校を見学した際にレベルの高さに驚いたそうです。
しかし、部員は少なく公式戦に出られませんでした…
- 同期は2人
- 公式戦に出場できなかった
- 同じ体育館の鎮西高校バレー部に刺激をもらう
- 中学3年間は基礎練習に励む

試合ができない中でも練習がんばってたんだね。
中学時代に30㎝伸びる!

身長190㎝の宮浦健人選手ですが、子供時代から大きかったわけではありません。
中学入学時 → 身長155㎝
30㎝以上伸びてます!
高校入学時 → 身長187㎝
(現在:190㎝)

中学3年間で30㎝以上も伸びてるのはびっくり!

ご家族みんな背が高いみたいだから、遺伝もあるのかな。
。バレーをやる上では良かったんですけど、急に背が伸びたので成長痛というかヒザが痛かった記憶があります。まあ、父が185cmくらいあって、母も170cm以上あるので遺伝的な要素があったと思いますけどね。バレー選手としては小柄ですけど、兄も180cmくらいはありますし……。
引用元:VOLLEYBALL HELOES WEB
お母さんが栄養管理とボリュームを考えてお弁当を持って学校へ通っていたそうです。

お母さんのサポートってありがたいよね。
宮浦健人は鎮西高校出身
宮浦健人選手は、全国強豪レベルの鎮西高校(熊本県)へ進学しています。

1年生|腰椎分離症でチーム離脱
宮浦健人選手は、進学後に1年生でサウスポーエースとして、スタメンで試合に出場しています。
しかし、腰椎分離症(疲労骨折)となってしまいます。
学生時代で、大きな怪我はこのときだけのようですが…
部活を休まなければならない時期が長く、すごく辛かったそうです。
1年目の春高バレー初戦敗退をバネに

最初の春高バレーでは、東京代表の早稲田実業と対戦し、一回戦で敗退しました。
引用元:4years
「自分のせいで負けたとか、何もできなかったとか。むしろよかったことやできたことを振り返る方が難しいです。」
春高バレーに出場するということ自体すごいことなのですが、この悔しさをバネにして、チームを勝利へ導くために考え、ひたすら練習します。
- どうすればもっといいスパイクが打てるのか
- チームを勝たせるためにどうしたらいいか
2時間の部活練習を終えてから、自主練習でスパイクを打ち込んでいたそうです。

課題を見つけて行動できるところがカッコいいな。
2年目の春高バレー準優勝
宮浦健人選手は、2年生になってからも伸び悩む時期が続きました。
「もう辞めてしまいたい」と追い込まれることもあったそうです。
しかし、2年生の春高バレーでは準優勝を果たします。
代替わりとなり、キャプテンとなった宮浦健人選手。
背番号は、エースナンバー3
3年生で最後の年は、春高の決勝で勝ち日本一になることを目標にしていました。
3年生のとき熊本地震
2016年4月16日、熊本地震が起こります。

被害の状況は深刻なものでした。
宮浦健人選手の通う鎮西高校も、体育館や校舎は損壊。
学校生活も、1ヵ月くらい、日々の暮らしもままならない状況になってしまいました。
体育館が損壊していたので、その後の練習は…
- 佐賀や福岡の体育館を借りる
(コーチの運転するバスで移動) - 校庭の砂場に臨時のコートを作った
- 外練習で暗くなってからは1人体感練習
- ひたすら校庭を走る
熊本県外で体育館が借りれないときは、外練習をしていたそうです。
満足のいく練習時間がとれない中で、できることを必死にやっていたんですね。

つらかっただろうな。
それでも逆境に負けない気持ちが素敵だね。
3年目の春高バレー初戦敗退

前年準優勝の鎮西高校は、シード校となり2回戦が初戦。
主将兼エースとして、大きなプレッシャーを感じていたといいます。
迎えた初戦は、習志野高校と対戦し0-2でストレート負けでした。
負けた要因として考えられること
- 熊本地震の影響で練習試合など満足にできていなかった
- エースの宮浦選手は徹底的にマークされた
それでも、注目を浴びていた中でカメラを向けられたとき、言い訳はしなかった宮浦健人選手。
「弱いから負けた。(エースの)自分がふがいなかったせいで、負けました」
引用元:4years
この悔しい経験が、宮浦健人選手をさらに強くしていったのかもしれません。
宮浦健人選手は、高校卒業後、さらに強くなるために、早稲田大学へスポーツ推薦で進学しています。

自分にストイックで、とても努力家だもんね。
宮浦健人のプロフィール紹介

- 生年月日:1999年2月22日
- 名前:宮浦健人
- 年齢:26歳(2025年現在)
- 出身地:熊本県荒尾市
- 身長/体重:約190㎝/約85kg
- 利き腕:左(サウスポー)
- ポジション:オポジット(OP)
- 最高到達点:347㎝
- 特徴:高いジャンプ力と強烈なスパイク
- 出身高校:鎮西高校(熊本県)
- 出身大学:早稲田大学(スポーツ科学部)
- U‑19日本代表主将(2017年)
アジアユース 優勝・MVP
世界ユース選手権 銅メダル - ジェイテクトSTINGS
(2021-2022年) - PSGスタル・ニサ (pl)
(2022-2023年) - パリ・バレー
(2023-2024年) - ジェイテクトSTINGS愛知
(2024-2025年) - ウルフドッグス名古屋
(2025年-)
現在の活躍の裏には、鎮西中学・高校時代の苦労が土台となり、つながっているのかもしれません。
今後も、宮浦健人選手の更なるご活躍を応援しています!